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仙台地方裁判所 昭和44年(わ)339号 判決

被告人 甲野太郎

昭二五・二・二三生 無職

主文

被告人を無期懲役に処する。

未決勾留日数中三〇〇日を右刑に算入する。

押収してある切出し小刀一丁(昭和四四年押第一〇一号の一)を没収する。

理由

(被告人の略歴と本件犯行に至るまでの経緯)

被告人は本籍地で農業を営む父松夫、母テイ子の二男として生れ、両親の膝下で成育し、本籍地の枝野小学校、金津中学校を経て定時制宮城県立伊具高等学校大内分校に進学したが、昭和四一年一〇月右分校を二年で中途退学し、その後は同年一一月から約四ヶ月間名取郡岩沼町の鶏卵問屋の住み込み店員、昭和四二年五月から約二ヶ月間千葉県船橋市で配管工事会社作業員として稼働したことがあるほか、おおむね両親の農業の手伝いに従事し、時折り、近所の工務店で人夫として稼働していた。

ところで被告人は生れてから小学校二年まで祖父留作に溺愛されて育つた反面、農家の主婦として多忙な母とは授乳時のほか殆んど接触がなく、また他の同年輩の子供らと遊ぶこともしない閉鎖的な環境で成長し、小学校二年の昭和三一年六月、被告人にとつて唯一の保護者であり、遊び相手であつた右祖父が急死してからは、それまで形成されてきた孤独な性格に父母の放任的態度も加わつて家族内に溶けこめず、寡黙がちとなり、かつ学校においても小学校三年の折急性肝炎で約二週間入院して以来体育の時間は常に見学を余義なくされたことに加えて、自己中心的行動等のために、同級生らから除け者にされ、交友関係も殆んどできないまま中学校を卒業したが、特に、昭和四〇年三月、兄静雄がその前年合格した宮城県立角田高等学校の入学試験に失敗し、父母のすすめでやむなく前記伊具高校大内分校に入学したものの、その後は前記兄を始め周囲に対する劣等感を募らせ、ますます内閉的、抑うつ的性格が強まり、かつ厭世的な気持を抱くようになり、しだいに学業を嫌うようになつて、独り学校をさぼつて街を放浪し、またそのころから性を扱つた雑誌、映画等に興味をもちはじめ、女性に対する関心を強くもつようになつた。そして高校一年の昭和四〇年一〇月ころ家から二万円を持ち出して初めて家出を敢行し、高校二年の翌四一年一〇月再び家出した所、宮城県角田市内で小学校六年の女子に対する強姦致傷事件(姦淫は未遂)を起し、仙台家庭裁判所から保護観察処分に付されるとともに高校を中退し、その後前記のような職歴をたどつてきたが、昭和四二年二月ごろから幾度となく理由のない家出放浪をくりかえし、また同年四月と六月の二回ドルミン、ブロバリンを各服用して自殺を図るなどの異常行動があつたので、父母において同年七月ころ医師に診させたが、精神病質であるとの診断であり、結局手に負えない我儘者ということでそのまま放置するに任せられていた。被告人はその間、前記のように保護観察に付されていたものの、内閉的性格からくる欲求不満を性に対する興味のみによつて代償させるようになり、なおも性を扱つた雑誌・映画等に接し、女性と関係したいとの欲望を強くもちつづけ、昭和四三年夏ごろからは、以前の失敗にかんがみ、逮捕されずに姦淫の目的を遂げるためには、女を殺してその抵抗を完全に排除し、警察等への通報をできなくしてしまうのがよい、との妄想を抱くに至り、家出中の昭和四三年七月ころと、昭和四四年四月ころの二回何れも強姦の目的で角田市内で女子中学生、女子高校生の後を追いかけたが実行するに至らなかつた。そして、昭和四四年八月三一日に至り、朝近所の工務店に働きにいくつもりで母に弁当を作つてもらつたが、持ち前の移り気からそれを放置して、昼ごろ仙台市内に赴き、強姦や刃物で刺したりする場面のあるいわゆるピンク映画をみてすごし、夕方帰宅したところを母に注意されたので、夕食もとらずそのまま家を出て、その夜は角田市内に駐車中のトラツクの中で眠り、翌九月一日朝再び仙台市に赴き、本屋でいわゆるエロ雑誌やマンガ等を立ち読みしたのち、同市東一番丁の日活映画館に入り、午前一一時ころから午後三時ころまでヤクザ映画をみてすごした。

(罪となるべき事実)

第一  被告人は、前同日午後三時すぎころ、前記日活映画館を出て中央通りを仙台駅方向に歩いていたが、その間、今見てきたヤクザ映画の刃物で斬り合う場面に刺激され、また前日見たピンク映画の強姦場面等を思い出し、かねて女を殺したうえ関係しようとの妄想を抱いていたこともあつたので、その場面の想像を強くかきたてられ、ついに、自己がこれを実行する際には女の抵抗を排除するため必要なものと考えてナイフを買つておこうという気になり、途中仙台市名掛丁四五番地金物店神津商店で刃渡り約五センチメートルの切出し小刀一丁を買い求めたうえ、仙台駅に赴いたところ、たまたま同駅午後四時二〇分発の常磐線上り列車があつたので、以前同線山下駅から自宅までバスで帰つたことを思い出し、右駅までの切符を買つて乗車し、同日午後五時一〇分ころ同駅に着き、駅前商店でパンを買い求めて食べた後、同駅東南方の同駅から徒歩約二〇分の距離にある宮城県亘理郡山元町笠野の海岸および同町高瀬字天王川地内付近を前記のような妄想にふけりながらあてもなく徘徊しているうち、同日午後七時一〇分ころ、同町高瀬字天王川九二番地の一先三差路付近路上で、前記山下駅方向から歩いてくる帰宅途中の同町高瀬字天王川一一八番地居住の東北大学農学研究所職員乙野花子(当時二〇歳)に出会つたが、付近から洩れてくる燈火の明りで同女が若い女性であることを認めるとともに、同所付近は人家疎らであり、当時付近に通行人の姿も見えなかつたので、とつさに同女によつて日頃の欲望を満足しようと考え、同日前記のとおり買い求めた小刀で同女を殺害したうえ姦淫しようと決意し、同女に尾行を気づかれないよう履いていたサンダルを同所付近道端に脱ぎ拾て、その後方を約一〇メートルの間をおいて東方へ約一〇〇メートル位尾行し、その間前記切出し小刀(昭和四四年押第一〇一号の一)を取り出して右手に持ち同町高瀬字天王川一一九番地先路上において同女に追いすがりざま、いきなりその背後から左手を同女の首にまきつけ後方に引き寄せせ、右小刀の刃の方を下に向けて力一杯同女の背中に突き刺し、同女が悲鳴をあげて救いを求めるや、続けざまに四、五回同女の背中を突き刺し、更に地面に前かがみになりしやがみこんでうめき声をあげる同女の後方右斜め横からその右側頸部等を五、六回突き刺して、背部、右側頸部刺創による出血で同女を仮死状態に陥らせて、完全に同女の反抗を制圧したうえ、その場から同女を同所付近の笹藪内に運びこんだうえ、同女の着衣前部を右小刀で切り開いて全裸に近い状態にして、強いて同女を姦淫し、またその頃同所において同女を前記背部刺創等による出血のため失血死させて殺害の目的を遂げ、

第二  右犯行後、同所から逃走の途中肥え溜めに落ちこんだので、着衣を全部脱ぎ拾ててパンツ一枚の姿となつたが、尚も犯行現場から遠ざかろうとして約三〇分間位同所付近を歩き廻つたが、地理不案内のため遠廻りをして現場付近に戻つているのに気づかず、パンツ一枚の異様な姿を発見されるのを恐れ、かつ右犯行による逮捕を免れるため、おりから行手に認めた同町高瀬字天王川一一七番地岩佐誠治方物置に隠れようと考え、同日午後八時すぎころ、同人所有管理にかかる物置内に忍びこんだうえ、同月三日正午すぎころまで同所に潜伏し、もつて不法に人の看守する建造物に侵入し

たものである。

(証拠の標目)(略)

(弁護人の主張に対する判断)

弁護人は、被告人には数度の自殺企図、家出放浪等に見られる如く、相当重症の精神障害が存し、本件行為当時是非弁別能力はあつてもそれに従つた行動統御能力はなく、心神喪失ないし心神耗弱の状態にあつたと主張する。

前掲各証拠および(証拠略)によれば、なるほど被告人は弁護人の主張するように、幼少年期から両親、兄妹との精神的接触が極めて少く、また交友関係も殆んど皆無で、一歳年上の兄静雄に対する強い劣等感も加わつて、自閉的、内閉的生活を送り、また強い厭世感から生活態度も投げやり的で無目的、衝動的行動が目立ち、昭和四一年一〇月ころから何度も理由のない家出放浪を繰返し、昭和四二年の四月、六月の二回に亘つて理由不明の自殺を図り、その間高校一年ころから興味を持ち始めた性を扱つた週刊誌、映画等に刺激され、判示のとおり、昭和四一年一〇月強姦致傷事件を起し、保護観察処分に付されたものの、右によつて反省することなく、かえつて昭和四三年夏頃からは警察に捕えられずに自己の欲望を遂げるためには女を殺害したうえで姦淫するとの妄想を抱いて、その後二度も右意図で女子学生のあとをつけ廻したこと等、被告人には幾多の異常行動が認められるのであるが、前記各証拠によれば、被告人の家系においては、精神病者は全く見当らないから、その遺伝的要因は考えられず、被告人自身、二歳の頃急性肺炎、小学校三年時急性肝炎、中学一年時十二指腸潰瘍によつてそれぞれ入院したことはあるが、それ以後は健康で何ら身体的、肉体的欠陥はなく、被告人の前記各異常な行動は全て劣等感、厭世感を基調とし、そこから出てくる衝動的、投げやり的性格によるものであつて、抑うつ型精神病質者とみるのが相当であり、また、「被告人は自己の行動の善悪を弁えても、それに従つた行動はなし得ない。」旨の前記鑑定書にある鑑定理由中の記載部分は一見弁護人の主張に副う如くであるが、同鑑定書の鑑定主文および同理由中の他の部分と併せ考えると、これは前記の性格に情性欠如的素質が加わつて、被害者に対する憐愍の情が湧出しない結果、平然として本件の如き残酷な犯行に及べたことを表わしたものであつて、必ずしも被告人が規範的意味における行動統御能力を欠いていることを示すものでないことが認められ、このことは本件犯行に際し、他人に犯行を見咎められるのを極度に恐れ、なお犯行終了後逮捕を免れる為現場を遠く離れようとして逃げまわつたこと等の行為態様によつても充分窺えるし、被告人の従前の経歴においては住込み店員、人夫としての稼働においては何れも永続きせず、また前記のような通常人とは異る行動が見られるけれども、家業の農業手伝いのかたわら、自宅でとつた野菜を市場で売却し、また時々近所の工務店で人夫として稼働して、自己の小遣い銭を作り出す等、その生活力において通常人と比較し著しく劣るとは認め難く、これら諸般の事情を勘案すれば、本件犯行当時、被告人は自己の行動の是非弁別能力はもちろんのこと、それに従つた行動もなし得たもので、それらが著しく劣つていたものとも認められない。従つて弁護人の主張はこれを採用することができない。

(法令の適用)

一、被告人の判示第一の所為中強姦致死の点は刑法第一八一条、第一七七条前段に、殺人の点は同法第一九九条に、判示第二の所為は同法第一三〇条前段、罰金等臨時措置法第三条第一項第一号に各該当するところ、判示第一の強姦致死と殺人とは一個の行為で二個の罪名に触れる場合であるから、刑法第五四条第一項前段、第一〇条により一罪として重い殺人罪の刑で処断することとし、判示第二の罪については所定刑中懲役刑を選択する。

二、そこで判示第一の罪につき、その所定刑中いかなる刑を選択すべきかについて考察する。

(一)  本件犯行は一面識もない被害者を道路上で、自己の獣欲に供せんがため、殺意をもつていきなり背後から所携の切出し小刀で何度も執拗に突き刺して頻死の状態にしたうえ、笹藪に引きずり込み全裸に近い状態にして姦淫の目的を遂げ、被害者をそのまま放置して逃走し、被害者をして背部刺創等による出血のため失血死させたもので、まことに天人ともに許さざる残虐非道の犯行であるとともに、その邪欲のためには、貴重な人間の生命を犠牲にすることを何ら意に介さない冷酷な心情、非人間的な残虐性の持主の所為といわねばならない。

(二)  被告人の本件犯行は検察官主張のように必ずしも久しい以前から殺人および強姦致死の確定的故意をもつてその機の熟するのをまつた計画的犯行とまではいえないが、犯行前に前記のような妄想をいだきながら鋭利な切出し小刀を買い求め所持していたことは、被告人の衝動的な性格に照し、容易に右小刀を使用して本件の如き犯行をなすに至る危険性が大であつて、事実このことが本件犯行への意思を次第に確定的なものにすることにもなり、被害者を発見した際、直ちに右小刀によつて殺害する意思を固め、前記のように残虐極まりない犯行に結びついたのであつて、その態様からすれば計画的犯行に優るとも劣らない危険かつ悪質な犯行といわなければならない。

(三)  殺害された被害者は、当時満二〇歳の未婚の女性であり、勤め先においては明るくかつまじめな勤務態度で上司、同僚から賞賛されているのみならず、姉妹二人の末つ子として両親の愛情を受けて生活しきたつたもので、勤め先から真直ぐ帰宅の途中、しかも自宅からわずか一五〇メートル位の近くまできたところで被告人の兇行によつて一瞬のうちに毒牙の犠牲となり貴重な若い生命を奪われたものであつて、そこには何らの落度なく、被害者はもちろんのこと、その両親、姉ら肉親の無念さは察するに余りあり、これらの者において被告人に対する宥恕の気持が事件後一年有余過ぎた今日も全くないことは、肉親の心情として真に当然であるといわなければならない。

(四)  本件犯行現場である山元町笠野部落周辺は平和な農村地帯で、この種兇悪事件の発生をみたことがなく、本件犯行は右部落民に対して著しい不安感、恐怖感を与えたものであり、この種兇悪な性的犯罪が年頃の女子をもつ世の親に大きな衝撃を与えたことは想像に難くなく、またこの種犯罪に通有の模倣性、伝播性から若い青少年に与える心理的影響が大であること等を考慮すれば、本件犯行が社会に及ぼした影響は極めて大きいといわなければならない。

(五)  被告人は昭和四一年一〇月の強姦致傷によつての保護観察中であるにも拘らず、その後二度に亘り強姦を企図したうえ本件犯行に及んだこと、と被告人のような抑うつ型精神病質者においては医療教育による犯罪的性格の改善が容易ではなく、その性格および過去の異常行動を合せ考慮すれば本件と同種の再犯のおそれが極めて大きく、社会的危険性は極めて強いものといわなければならない。

そしてこれらの諸点から考察すると、本件は、まさに極刑に値するとの考え方もありうる。

(六)  しかし、飜つて被告人の生活歴や本件犯行前後の情状等をみるに、

(イ) 本件犯行は、抑うつ的気分を基調とし、劣等感、厭世感をもち、衝動的、投げやり的な被告人の人格態度がその重要な原因と認められるのであるが、被告人の右人格態度は、小学校二年時まで祖父に盲愛され閉鎖的な環境に育てられたことと、その後父母兄妹の家族内に溶けこめなかつたことから徐々に形成され、中学校卒業後、角田高校への入学試験に失敗し、更に已むなく入学した伊具高校大内分校から本校への転校が認められなかつたことによつて、右傾向が更に強められたものであつて、その間、両親は被告人を積極的に家族内に溶けこませて、矯正すべき何らの努力を払わず漫然放置したままその性格を助長させてきた点もあり、少くとも幼少年期に両親が被告人に対する配慮を怠らなかつたならば被告人の右人格態度はその萌芽のうちに摘みとられる可能性もなかつたではないものと思われ、被告人自身ある意味で不幸な境遇にあつたものといえないではない。

(ロ) 更に被告人は、結局は何れも失敗したものの成長するに従い、自己の右人格態度を反省し、自ら改めようと努め、また前記保護観察に付された後、保護司の指導に服し、それによつて立ち直ろうとの努力を試みたことが、被告人に対する保護観察記録その他関係証拠によつて窺うことができるのであり、また、少年時右強姦致傷の前歴はあるもその際の処分は保護観察であつて、少年院等の施設に収容されたことがなく、他に前科や非行歴もない。

(ハ) なお、被告人は本件犯行当時年令満一九歳六ヶ月の少年であつて、成人に近いとはいえ、未だ心理的不安定な青年の時期を脱し得ないうちの犯行と見られないではなく、現在において、必ずしもその犯した罪に対し改悛の情顕著とはいえないものの、被告人が獄中からその両親に宛てた手紙において或いは面会に来た母親に対し、これまでの生活態度および本件犯行について反省する趣旨を述べており、なお残された良心の片鱗が認められないではない。

(七)  そして右の諸事情に照らせば前記のように被告人の性向に対する医療教育による改善が必ずしも容易ではないとしても、なお一抹の希望ないし可能性があるものといわねばならないのであつて、その犯行の悪質性、残虐性、結果の重大性、社会的影響の大きさ等の故に本件被告人に対し極刑を科するにはなお躊躇せざるを得ない点がないではなく、著しく困難ではあつても今一度被告人に対し刑務所における長期の監護教育によつてその矯正の機会を与え、そのうえで、永くこの世に生を保ち、犯した罪の重大なることを認識するとともに、日夜獄中から被害者の冥福を祈つてその罪の償をなさしめることを以つて必ずしも不当に軽い処置とも認められないので判示第一の殺人罪についてはその所定刑中無期懲役刑を選択すべきものと考える。

三、しかして以上の各罪は刑法第四五条前段の併合罪であるから同法四六条第二項により他の刑を科さず、被告人を無期懲役に処することとし、同法第二一条に則り未決勾留日数のうち三〇〇日を右刑に算入し、押収してある切出し小刀一丁(昭和四四年押第一〇一号の一)は判示第一の殺人、強姦致死の用に供した物で、被告人以外の者に属しないから、同法第一九条第一項第二号第二項本文によりこれを没収し、訴訟費用は刑事訴訟法第一八一条第一項但書により被告人に負担させないこととする。

よつて主文のとおり判決する。

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